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zoom RSS 湛水量日本一の徳山ダム、試験湛水開始

<<   作成日時 : 2006/09/25 22:44   >>

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今朝、ラジオでタイトルのニュースが流されました。メディアは「日本一」という名のネームバリューに弱いのでしょうか、新聞各紙やネットニュースでも取り上げられ方は場所から言っても異例の大きさでした。徳山ダムは揖斐川水系本流の上流部に建設が進められている多目的ダムです。タイトルの通り、ダムが堰き止めることのできる水の量、完成の暁には日本一となります。

「試験湛水」という言葉は世間一般にはほとんどなじみのない用語ですが、ダム建設を見ていく上では避けて通れない段階と言えます。ダム工事には大まかに3つのステップがあり、まず堤体の竣工が第一到達点です。しかし、堰堤が完成してもすぐに水を湛めるわけにはいきません。今まで地肌だった部分が水底に沈むわけですから、何の策もなしに湛め始めると、水圧の影響や土壌の腐食などによって地盤がもろくなったりして周辺の山崩れを起こす危険性があります。堤を先頭にした湖が出現するわけですから、堤よりもはるかに上流までのスペースをなるべく地物類の何もない状態にしておく必要もあります。ダムやダム湖の規模が大きくなればなるほど、堤体竣工から試験湛水までにかかる期間は長くなります。これら外堀を埋めた上で初めて、水を湛めることが可能になります。これが第二到達点で、今日のニュースも徳山ダムの建設工事がここまで進んだことを示すものでした。つまり、ダム本体は随分前に出来上がっていたのです。この後、「日本一の水量」を湛めるまでに数年がかかると言われていますが、これが満水位に達した時点でダム全体が完全竣工したことになります。

このダムは、その規模もさることながら「1つの村を丸呑みした」ことでも知られています。建設に際して居住者は移転を余儀なくされますが、その範囲があまりにも広大で、居住者数があまりにも多かったためにここに存在していた「徳山村」は中心集落を失って自治体として成り立たなくなり、隣接する藤橋村に編入されて消滅してしまった…こんな過去がありました。その藤橋村も、平成の世を吹き荒れた合併の嵐の中で揖斐川町となり、奇しくもこの際に町名としてこの地域に「徳山」が復活した…そんなエピソードもありました。

しかし、徳山ダム自体は順風満帆に事が進んでここまでこぎつけた、というわけではありません。半世紀もの長期間を要するうちに社会構造が大きく変化してしまい、「多目的」とされたその目的一つ一つに対して、果たしてこれほど巨大なものがこれほど辺鄙な場所に必要なのかという議論が巻き起こるのは当然のこと。計画を見直すこともせずに続けられた事業は、建設業界を潤すためだとつるし上げられても仕方ありません。ダムだけでもこんな調子ですが、谷底を通っていた国道の付け替えはもっととんでもないことに。この国道417号は冠山を越して福井県側に続いていますが、県境では悪路となっていて国道として1本につながっていません。つまり、徳山ダムの上流部は事実上のどん詰まり、行き止まりと言える場所なのです。にもかかわらず、過剰なまでの長大橋に長大トンネル…完成後どれほどの車がここを通るのかも分からないのに、ここまでデラックスな付け替え道路にする必要が本当にあるのかと首を傾げたくなるような道路に仕上がってしまいました。周辺はもちろん、上流部にも人はいないはずなのです、だってダム建設を理由に村がなくなってしまうほど、人はこの地を捨てて離れていってしまったのですから…。ダム事業、ひいては巨大ハコモノ行政の行く末を案じずにはいられません。こんなことを全国各地で際限なくやり続けていたら、日本はいつかダメになってしまうのかも…。

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